数日前に天気予報を見て、良さそうだと判断すると出かけます。いつも付き合ってくれる仲間がいるので幸せです。自然につつまれて体を動かせることって素敵です。誰にでも楽しめるコースばかりです。是非あなたもどうぞ!
| 08年6月7日 | |
| 雪の残る山を越え、尾瀬ケ原へ |
6月7日夕方出発、戸倉で素泊まり3千円の民宿に泊まり、8日早朝4時半のバスで鳩待峠に向けて出発。 5時20分歩き始め。天気予報では雨と言っていましたが、何とか持ちそう。多くの登山客とは別に、あやめ平に向かって歩き始めました。登るに連れて雪深くなり、滑る木道に悲鳴をあげながら、歩きました。横田代からは初めのうちは至仏山や燧ガ岳が望めましたが、そのうちきりの中に隠れてしまい残念でした。あやめ平も残念 ながら霧の中、30年ほど前、湿原をあらしてしまった後遺症でまだ 荒れています。現在復元の作業に取り掛かっているということでした。 富士見田代から滑って、ころびながら、竜宮小屋めざしての下り。降り立った尾瀬ヶ原の先端は水芭蕉の群落。至仏山を背景に素晴らしい景色が広がっていました。 りゅうきんかの黄色、ふでりんどうの淡い紫、ピンクがかわいいしょうじょうばかま。色とりどりの高山植物に見とれるばかりでした。 尾瀬は、やはり水芭蕉、6月な第1土日が毎年見ごろだそうです。特に土曜日の人では並大抵ではなく、今年も土曜日が私たちが訪れた日曜日の3倍だったと、帰りに乗ったタクシーの運転手さんが話していました。 春、夏、秋いつ訪れてもすてきな尾瀬また行きたいものです。 |
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| 08年2月4日〜2月7日 | |
| 沖縄平和ツアーに参加しました 「今語らなければならない」と立ち上がった方々に感動しました。 |
高校の教科書検定意見で、真実が捻じ曲げられようとしている教育界、「沖縄の方々の真実の声を聞きたい」その一念で参加しました。行って良かったです。 渡嘉敷島で集団自決の体験者であられる吉川嘉勝(よしかつ)さん。「小学校1年生、1945年3月27日米軍上陸という情報が入り、岩陰にかやぶきで作った壕から食料を詰め、赤松隊長の『西山にあつまれ』の支持の元、家族そろって真っ暗闇の中を山頂目指して登っていった。700名くらい集まっていた。夜更けに『天皇陛下ばんざい』とう声と同時に自決が始まった。手榴弾の音も聞こえた。手榴弾で死ねなかった人は、お互いに殺しあっていた。大きな石を持って小さい子の頭をたたくお父さん。それを見て、母が、『手榴弾を捨てなさい、人間は死ぬのはいつでもできる。逃げよう』と。その声にはっとして、逃げた。ついてきた家族もいた。 次の日、米兵が来て、生き残れそうな人を担架で運び、痛み止めをうってもらって生き延びた人もいた。日本兵は何をしたか?」と当時の様子を細かく話してくれました。吉川さんは、元教育長であり、現在は教育委員長。これまで語ったことはなかったそうですが、今話さなければ、歴史がゆがめられ、沖縄の苦しみが伝わらないと今年の9月29日を境に語りだしたのだそうです。「集団自決は、軍の命令がなければ起こるはずはなかった」「西山に集合させられたことや手榴弾が配られたこと、米軍に投降してはいけないなど徹底されていたことからも明らか」と毅然と語っていらした。沖縄の心ここにありと感服しました。 他にも、糸数のチビチリガマや平和記念館、摩文仁の丘など胸がつぶれる想いで見学。姫ゆり記念館では、ここでも生き残りの77歳になるという女性が、「今伝えなければ」という想いで語られる悲惨な事実。本当に胸うたれるものでした。 企画してくださったみなさんに心から感謝するとともに、これからの平和を守る運動に貢献し、特に教科書検定意見の撤回を求める運動に寄与したいと思います。 |
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